英彦山神宮
福岡県田川郡添田町
tel:0947-85-0001
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)
旧官幣中社
英彦山は、古来から山の神として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神の御子、
天忍穂耳命(あめのおしほのみこと)であることから「日の子の山(ひ・こ・さん)」と呼ばれていました。
主神として天忍穂耳命を、配神として伊邪那岐命・伊邪那美命を御祀りしています。
石鳥居
彦山駅からバスで15分。徒歩2分でこの鳥居に到着。
英彦山神宮の入り口で、鳥居の先には石段が続く
奉弊殿への石段
石段の数は二百数十段。
左右にはかつての修験道にちなんだ坊が立ち並ぶ。
緑豊かで、光に反射する石畳が幻想的。
空気も澄んでおり、とても気持ちがいい。
奉弊殿(重文)
修験道時代の霊仙寺の大講堂。かなり立派。
場の空気は澄んでいて、流れもよく開放的。木々も静かでとても心地よい空間。
天之水分神(あめのみくまりのかみ・龍神)がお祀りされている瀧=写真左
境内右手奥(写真右中央)にある。
修験者が入峰する際、水筒に入れお守りとして用いたものと伝えられている。
御本殿(上宮)への登山道入口
御本殿に行くためには、この鳥居を抜け、山道を歩いていかなくてはならない。
距離は2.2kmらしいが、実際登ってみると、道は険しく5kmくらいに感じられる。
※当時は登山初心者のため、かなり軽装でのぞみ、この後大後悔することになる
下津宮
御祭神は、須佐之男命、神武天皇、大国主命
登山道入口から10分程度登ると到着
登山道
比較的整備された石段が続くが、勾配がかなり急。
苔むした石と木々が幻想的な風景を作り出していた
展望台からの眺望
山々を眼下に見下ろす素晴らしい展望
参道に横たわる巨石(磐座か?)
ところどころに、このような岩が鎮座している。
中津宮
御祭神は、市杵嶋姫命、多紀理姫命、多岐津姫命の宗像三神。
下津宮から40分ほどで到着。
かなり急な石段が続き、すでに足が棒のようになっていた。
中津宮附近からの展望
眼下の山が小さく見える。こんなにも登ってきたのか・・・と実感。
産霊神社(むすびじんじゃ・行者堂)
御祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、玉依姫(たまよりひめ)、
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
そろそろ山頂か?
体力は限界。足がつりそうになりながら、何とか前へと進む。
ついに到着、英彦山神宮・上宮。
御祭神は、天忍穂耳命。配神として伊邪那岐命・伊邪那美命がお祀りされている。
山頂広場
標高は1200m。
山の空気を楽しみならが、しばし休憩。
山頂からの展望
素晴らしい眺め。
ここまで苦労して登ってきた者へのご褒美かも知れない。
体力が回復し、気分も良くなり、「来た道をそのまま帰るのはもったいない」などと
考えてしまう。
鬼杉を通るルートを選び、下山を開始する。(迂回路だと思い、甘くみていた・・・)
これが地獄の始まり。ちなみに持参した水はすべて飲み干し、
ペットボトルは空になっていた。
英彦山山頂を一度下り、そして南岳に登る。
それまでの整備されていた道が一変、悪路に変わる。
写真は南岳山頂から臨む、英彦山神宮全景。(超望遠)
来た道を戻り、英彦山山頂へ戻ろうかとも思ったが、そのまま悪路を
先に進むことにする。鬼杉というものを一目見たかったのだ。
鎖場の道・・・
こんなものは道じゃない。
鎖をつたって上り、そして鎖をつたって下る。その連続。
涙がでそうになる
延々と続く鎖場の道
しかも険しさがどんどん増してくる。
なぜこんなことになってしまったのか・・・
もはや後戻りもできず、途方にくれながら登り、そして降りていく。
なぜトレッキングシューズじゃないのか?なぜストックを持っていないのか?
なぜ十分な水を持たずに登ってしまったのか?
斜めに突き出した材木のように見える「材木石」
鬼が残した材木が石になったのだという伝説が残っている
大楠神社
断崖にある洞窟の中に社が建っている。
もはや人間技とは思えない。
御祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)
所々出会う清流で、なんとか喉を潤す。
水のありがたさを心から、心の底から痛感する。
鬼杉
高さ38m、周囲12.4、m、推定樹齢1200年の大杉。
上宮から非常に険しい山道を1時間半ほど歩いてやっと到着。
もう意識も朦朧としていて、この杉を見た記憶があまり残っていない
玉屋神社
法蓮上人が約1300年前に修行した窟に神社が建てられた。
御祭神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、猿田彦大神。
ここから奉弊殿までは、約1.6km。
比較的ゆるやかになった山道を、約30分ほど歩く。
途中なんども「もうダメだ」と思ったが、何とか生きて返りつくことができた。
(途中、「死ぬかも知れない」と何度も思った)
登山を甘くみていた自分を深く反省し、奥宮参拝時の準備は十分に行うことを心に誓う。