雄山神社・前立社檀
富山県中新川郡立山町岩峅寺1
雄山神社・前立社壇(おやまじんじゃ・まえだてしゃだん)
越中国一之宮、旧国幣小社
御祭神は、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)です。
※伊邪那岐神の本地仏は「阿弥陀如来」、天手力雄神の本地仏は「不動明王」。
社殿によると、大宝元年(701年)、越中国の国司・佐伯有若の子「有頼公」は、
白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において
「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、
汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」
という雄山大神の霊示を受け、立山を開山したと伝えられています。
峰本社の鎮まる立山は、万葉集にも「神の坐ます山」として詠まれた名山で、
中世には山岳修験の霊場として多くの信仰を集めました。
※日本三大修験の一つ。他の二つは富士山と白山。
冬は雪に閉ざされるため、山麓に「中宮祈願殿」および「前立社檀」が造営されました。
「前立社檀」は、平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設で、
立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い、道中の無事を祈願しました。
雄山神社・前立社檀の横を流れる「常願寺川」。
この清流のせせらぎを聞きながらの参拝となる
雄山神社・前立社檀の鳥居。
「前立社檀」は、平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設。
「岩峅寺(いわくらじ)」の「峅」と言う文字には「神様の降り立つ場所」の意味がある
参道。川のせせらぎとセミの鳴き声が木霊する
参道と社号標
表神門。落ち着いた佇まい
境内。
左に境内社、中央に拝殿、右奥に東神門。
前立社檀は、立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い、
道中の無事を祈願する場所だったとのこと。
この地から立山までは、約40kmほど
境内社。
左より、八幡宮(御祭神:応神天皇・神功皇后)、
刀尾社(御祭神:伊佐布魂命・いさふみたまのみこと)、
稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)
拝殿
拝殿
本殿(国指定重文)
建久年間・源頼朝の再建、明応元年・足利義植の造営と伝えられる。
檜皮葺き五間社一間向拝付き流れ造り(北陸最大の御本殿とのこと)
御本殿横の御神木
湯立の釜
前田斉泰公からの寄進。
参拝者が湯を身にふりかけ、罪のないことを祭神に誓ったものとのこと
東神門
境内。中央に表神門。
立山(峰本社)登頂後だったせいか、とても親しみを感じながらの参拝だった。