護王神社
京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町
護王神社(ごおうじんじゃ)
旧別格官幣社
御祭神は、和気清麻呂公(わけのきよまろ)、和気広虫姫(わけのひろむしひめ)です。
和気清麻呂公の生誕は天平5年(733年)。当時の権力者である道教の策謀をあばき、その後平安京の建都に貢献されました。
和気広虫姫は清麻呂公の姉君です。
護王神社(ごおうじんじゃ)は、明治7年(1874年)、和気清麻呂の霊廟である「護王善神堂」が改称されたものです。
<道教事件>
奈良時代末、当時法王として大きな権力をふるっていた道鏡は、
「宇佐八幡から『道鏡を皇位に就かせるべし』との御神託があった」と天皇に奏上します。
これに驚いた称徳天皇は、和気清麻呂公を宇佐八幡へ派遣。その御神託の正否を確かめさせました。
清麻呂公が御神前にひれ伏すと宇佐の大神が現れ、「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てるべし。
無道の者は追放せよ」との啓示を得ます。
清麻呂公はこの内容を称徳天皇に報告。これに法王道鏡は大いに怒り、清麻呂公は大隅国(鹿児島県)へ、
姉の広虫姫は備後(広島県)に流罪となってしまいます。
その1年後、道鏡は失脚。清麻呂公と広虫姫は都へ戻り、清麻呂公は新しい桓武天皇のもと豊前守や
摂津太夫を歴任し、平安京の建都などに貢献されました。
護王神社の鳥居と神門。鳥居の前にはイノシシの像。
京都御苑沿いに鎮座している。
参拝は2009年4月10日
神門
拝殿
美しいシルエット。拝殿の前には有名な「狛亥」
境内、ほぼ全景。
左手前に拝殿、右奥に御本殿。
手入れの行きとどいた、とてもきれいな境内だった
御本殿の拝門
御本殿
右に「招魂の木(おがたまのき)」
招魂の木の根元の「願かけ猪」と「座立亥串(小さなのぼり)」
明治32年に発行された「10円券」。
和気清麻呂公の肖像と護王神社の拝殿が描かれている
「10円券」の裏面には、なんと「猪」が描かれていた
神門に掲げられた「亥の凧」
手水舎の亥
神社全体、とにかく亥で溢れている
御祭神・和気清麻呂公の銅像。
拝殿に掲げられた、四聖獣を描いた額。
左より、玄武、朱雀、白虎、青龍
一対の「狛猪」
清麻呂が道鏡からの刺客に襲われた際、突如現われた多数の猪によって
清麻呂は一命を取り留める。
この故事にちなみ、境内には狛犬の代わりに「狛猪」が配されている
社務所に飾られた「いのししコレクション」
すごいこだわり。
もしかすると日本一の猪コレクターかも知れない
境内末社